箱庭療法というネーミングに隠された日本人の感性

皆さんは「箱庭療法」という名前を初めて耳にしたとき、どんな印象を受けましたか?“箱”と“庭”という、どこか素朴でやさしい響き。「認知行動療法」や「交流分析」など、他の心理療法の名前に比べると、どこか不思議で温かみを感じさせます。実はこの「箱庭」という言葉には、私たち日本人ならではの“感性”がたっぷりと詰まっているのです。今回は、「箱庭療法」というネーミングに秘められた背景を辿りながら、日本人が昔から大切にしてきた“こころの風景”について、少し覗いてみましょう。

箱庭療法(Sandplay Therapy)の成り立ち

箱庭療法のはじまりをたどると、意外にもその原点はイギリスのSF作家にあります。1911年、SF作家のH.G.ウェルズが、自分の子どもたちと床の上でミニチュアの兵隊や鉄道車両などを並べて遊んだ体験をもとに『Floor Games(フロア・ゲーム)』という本を出版しました。子どもが自由に遊ぶ中で、空想の世界を創り出す様は、その後の心理療法に大きな影響を与えます。

この本に心を動かされたのが、イギリスの小児科医マーガレット・ローエンフェルトです。彼女は子どもたちが言葉でうまく気持ちを伝えられないときでも、砂の中でミニチュアを使って思いを表現できる方法を考え出し、1930年代に『The World Technique(世界技法)』を発表しました。

さらに、スイスの心理学者ドラ・カルフが、世界技法にユング心理学の考え方を取り入れ、心の奥深くにある無意識を安全に表現できるよう工夫。この方法は『Sandplay Therapy(サンドプレイ・セラピー)』と名付けられ、砂やミニチュアを使って自由に表現することで、言葉ではうまく伝えられない気持ちや心の動きを映し出せる手法として世界中に広まりました。

「Sandplay Therapy」が「箱庭療法」になった理由 

箱庭療法を日本に紹介したのは、心理学者の河合隼雄先生です。河合先生はスイスでドラ・カルフと出会い、『Sandplay  Therapy』を学びました。帰国後、日本でこの療法を広める際に、『箱庭療法』という名前をつけて紹介したのです。

「Sandplay(砂遊び)」という英語から「箱庭」という日本語を選んだのは、ちょっと不思議に感じるかもしれませんね。しかし、河合先生はカルフの使う砂箱(サンドトレイ)を見たとき、「子どものころに見た箱庭遊びに似ている」と直感しました。「箱庭遊び」とは、江戸時代後半から明治時代にかけて流行したもので、小さな箱の中に砂や石、草木などを並べて自分だけの小さな庭を作って楽しむ遊びのことです。だからこそ、「箱庭療法」という名前は日本人にとって親しみやすく、言語ではうまく表せない心の動きをそっと映し出す方法として、すんなりと受け入れられました。

箱庭に映す日本人のこころ

昔から親しまれてきた「箱庭遊び」は、ただの遊びではなく、小さな空間に自然の風景を映し出す趣のある楽しみ方でした。そこには、華やかさや完璧さではなく、自然や簡素さの中に美しさを見出す「わびさび」の心が息づいています。

こうした感性は、盆景や盆石といった日本の伝統的な庭園芸術にも通じており、現代の芸術にも受け継がれています。苔玉や盆栽のように、小さな器の中で四季の移ろいや自然の息づかいを表現する文化。また、石と砂だけで水の流れや風景を描く枯山水も、静けさの中に深い美を感じさせてくれます。さらに、島根県の『足立美術館』では、窓の外の庭園をまるで一枚の絵のように眺めることができるなど、日本独特の感性が私たちの身近に息づいていますよね。

言葉で多くを語らず、静かに気持ちを表すことを大切にしてきた日本人の気質とも相まって、砂や小さなミニチュアで自分だけの世界を作る箱庭療法は、日本人の心に自然と馴染み、広く親しまれるようになったのです。

まとめ

「箱庭療法」という名前には、日本人の暮らしや文化に根ざした、やわらかな心のあり方が表れています。自然や季節の移ろいに目を向け、非言語的に気持ちを表すことが得意な日本人にとって、砂やミニチュアを使って心の中を静かに形にする箱庭療法は、心を整理したり、自分の気持ちに向き合ったりするのにぴったりの方法です。皆さんも慌ただしい日々の中で、心の声にそっと耳をすませる時間をつくってみてはいかがでしょうか?