多様性を認め合う

普段お付き合いする人たちって、どこか自分と共通項のある人たちなんですよね。

職場にはいろんな人がいる、と思っても同じ企業風土の中にいるので、そんなに外れているわけでもない。

日本社会は同調圧力が高いのでなおさら。

ところが、環境が激変する中でそれぞれの本質的なもの、考え方、感じ方、

生き方の違いがわかりやすい形で表にでてきています。

やはり人間社会は多様性の塊りなんだなぁと思うわけです。

とても厳しく自粛する方もいれば、
他県の海にまで行ってしまう人もいる。

今夜のごはんを心配する人がいる傍らに、
貴族のような感覚で生活をしている人がいる。

テレワークが性に合っていて生き生きする人がいる一方で、
テレワークをきっかけに調子を崩してしまう人がいる。

医療従事する人に感謝の気持ちを表現する人もいるし、
コミュニティから排除したくなる人もいる。

どっちがいい悪いではなくて、私はふといろんな人たちがいてよかったなぁと思うのです。

世の中がピリピリしている時に天下泰平な気持ちですごせる人は、みんなが疲れ切った時にはまだ余裕があって、

助けてくれる人なのかもしれません。

みんなが右を見ている時に他のほうを見ている人は、早くに別の危機に気づいて警鐘を鳴らしてくれるかもしれません。

一枚岩とか、ワンチームとか、それはそれで素晴らしい言葉ですが、また同時に多様性を認めあうからこそ成り立つ言葉でもあるのです。

社会は多様性を内包しています。
だからこそしなやかに変化していけるのです。

他者の多様性を認めるということは、他者の言動に無理やり賛成することではなくて、ただ攻撃的にならないということ。

自分が自分らしくあることに賛成してもらわなくていいけれど、攻撃はされたくない、の裏返しですね。

多様性を認め合うってそういうことではないかとつらつら考えています。